変遷

元々は伝統酒の副産物の沈殿物に水を混ぜて酒として飲まれていたもの(滓酒)がマッコリであったとされる。麦麹で糖化と発酵を同時に行う家釀酒文化であり、製法もそれほど体系化されていなかった。1909年、大日本帝国の保護国となっていた大韓帝国で「酒税令」が公布され、醸造を申告制・課税対象とし個人の自家醸造を禁止した。また、酒の種類も薬酒、濁酒、焼酎、清酒に単純化され、さらに終戦後も酒税法は維持されたため、日本でのどぶろく文化同様、多様な家釀酒文化の多くが失われた。
一方、日本統治時代の朝鮮には日本から日本式米麹と酵母を使った並行複発酵法が持ち込まれ、製法が体系化されていなかったため失敗率が高く、出来上がりの均一性にも問題が出やすく、大量生産に向かない伝統的な製麹法を駆逐していった。さらに1930年頃、朝鮮総督府は米麹による糖化と酵母を別に入れてアルコール発酵させるマッコリ製造方法の画一化を進め、これがそのまま現在の韓国でも使われている。また家釀酒としての文化も密造酒として生き延びたものの、この間文化としての発展は見られず、また醗酵促進目的で麹を入れすぎたため、「伝統酒の香りは麹のにおい」という認識が形成されていった。
戦後になり朝鮮が独立すると、韓国ではマッコリを扱う酒造会社などが設立され、安いだけでなく特別なつまみがなくても楽しめたため、1960年代までアルコール飲料消費全体の60%―80%を占める大衆酒の地位を得ていたが、1965年、食糧不足により「糧穀管理法」が改正され、米・麦で酒を仕込むことが禁止されるとマッコリは大衆酒の地位から転落した。米国の援助による小麦粉でマッコリの醸造が再開され、また1992年には米でのマッコリ醸造が解禁されたが、消費者が小麦マッコリの味に慣れて行ったこともあり、米マッコリ固有の味は消えていった。また、酒税率が5%(ビール150%、焼酎70%)と低く設定されたため低価格の低級酒と誤解され、さらに通常5日はかかる熟成期間をカーバイドを加えることで強制的に熟成させたり、ルイヴィトン 財布 水や焼酎を混ぜた低質マッコリも登場、マッコリを飲むと頭が痛くなりげっぷも出るという偏見も広がり「伝統酒→マッコリ→安物の酒」という評価が定着していった。そのため国民的大衆酒の地位はビールや焼酎に取って代わられ、米マッコリが解禁された後もマッコリがその地位に返り咲くことは無かった。
現在、韓国内で生産消費されるマッコリの原料には一部の企業で国産米を使うものの、ほとんどは米国産や中国産の米を原料にしている。伝統酒には国産米を使うべきという意見もあるが、輸入米が安いことに加え、自由貿易協定 (FTA) 施行により輸入された米を消費することで値崩れが防止されているとの擁護論もある[25]。また、韓国製マッコリの大部分が甘味料としてアスパルテームを添加しており、この点も批判されている。


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