1950年代

1950年代、シャネルNo.5のブームは、マリリン・モンローによって再燃した。モンローは香水の宣伝を頼まれたわけではなかったが、大いなる宣伝の機会となった。1954年のインタビューで、何を身に着けて眠るのか尋ねられた際、映画スターは「シャネルNo.5を5滴」と挑発的に答えている。
1960年代
1960年代にはシャネルNo.5を、バイブル的存在のヴォーグやBazaarといった高級ファッショングラビア誌が、あらゆる女性にとって必須のアクセサリーだと表現した。印刷広告は写真、文面ともに落ち着きのある保守的なもので、芽吹き始めた若者文化のエネルギーや気まぐれな美学からは距離を置いていた。「活発なすべての女性は、シャネルNo.5を望む」「活発なすべての女性は、シャネルNo.5を愛する」という2つのキャッチフレーズが、広告コピーとして繰り返し登場した。
1970年代と1980年代
1960年代の広告は、シャネルNo.5の魅力を維持することはできず、かわいらしい、ファッション・バイブルとしてティーン向け雑誌を読むような上品な女子学生のための香りとされた。
1970年代、長い歴史の中でシャネルNo.5は初めて、時代遅れの大量生産品とみなされるようになり、ブランドは新風を必要としていた。香水はドラッグストアや同様のアウトレットから撤去され、シャネルがま口財布 外部の広告代理店は契約を切られた。イメージの再生は、「パルファム・シャネル」の芸術監督ジャック・エリューに委ねられた。エリューは、フランスの女優カトリーヌ・ドヌーブをシャネルの顔に選んだ。印刷広告はアイコンとして瓶の彫刻を掲載した。
TVコマーシャルは、超現実的なファンタジー等を得意とするプロダクションを通し、創意に富んだ短編映画となった。
1970年代と1980年代には、リドリー・スコットが監督し、「同じ視覚イメージ、同じ瓶のシルエット」が描かれた。
エリューの監督下、魅力と洗練のイメージがシャネルに戻ってきた。

シャネルがま口財布