歴史

1910年、ココ・シャネルがパリのカンボン通り21番地に「シャネル・モード」という帽子専門店を開店したのが始まり。1913年、リゾート地ドーヴィルに第1号のモードブティックを開店。続いて1915年、ビアリッツに「メゾン・ド・クチュール」をオープンして、ココはオートクチュールのデザイナーとして本格的にデビューする。
1916年に第1回シャネル・オートクチュール・コレクションを発表。安くシンプルで着心地がよく、無駄のない、ジャージ素材を取り入れたドレスが話題となる。
1921年、本店をカンボン通り31番地に移転。調香師のエルネスト・ボーにより、シャネル初の香水「No.5」を同年の5月5日に発売。数字の「5」に縁起を担いで発売をこの日にしたと言われている[要出典]。脂肪族アルデヒドを大胆に使用した香調で話題となる。「No.5」の名前は試作品番号から取られた。
1939年9月の、第二次世界大戦の勃発とともに、香水とアクセサリーのブティック以外の全店を閉鎖。ココがドイツによるフランス北部占領中を通じドイツ軍将校のヴァルター・シェレンベルクと愛人関係にあったため、1944年の連合国軍によるフランス解放後は「売国奴」として非難されスイスへの逃亡を余儀なくされる。
シャネルは1944年より10年間、その晩年をスイス、レマン湖地方のローザンヌで過ごした。レマン湖畔に佇むホテル、ボーリヴァージュ・パレスは、シャネルがローザンヌでの住まいとしたお気に入りのホテルであった。
フランス開放後10年を経た、1954年になって閉鎖店舗が復活。カンボン通りの店を再開し、オートクチュール・コレクションも復活させる。
1970年、香水「No.19」(en)を発表するが、翌1971年、住居としていたオテル・リッツで、ココが死去。その後、カール・ラガーフェルドがデザイナーに就任。ココのスタイルを守りながら、時代の空気を取り入れた新しいシャネルを提案し、ブランドとしての再興を果たす。2000年代以降は「メティエダール・コレクション」と呼ばれる、通常のパリ・コレクション出展ルックと異なるテーマのコレクションも展開している。
製品の大多数は自社工場で製造されているが、サングラス・メガネフレームはイタリアのルックスオティカ社がライセンスを受けて生産している。

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